【小林桜ものがたりvol4】私が小さい女の子だったときのこと

私が小さい女の子だったときのことをお話させてください。

私は4人きょうだいの1番目の子どもとしてうまれました。

私・2才離れた弟・4才離れた妹・そして7才離れた弟その2です。

3才の時に上の弟がうまれたので、

小さい時から「おねえちゃん」で、ずっとお姉ちゃんだったなあ。

挙句の果てに、母からも「姉のように」思われていたということが判明しました!

長女気質の人っていますよね。

いつもしっかりしていて、親のやってほしいことがよくわかって、

期待どおりの行動をすることができる。

それが自分自身かのように思い込んでしまう。

父は得に病院勤務の外科医だったときは、

忙しかったので家ではレアキャラみたいになっていました。

いまでいうJRの社宅に住んでいて、

母は同じ年ころの子どものいる家庭とたくさん付き合っていて、

私と弟はよく預かってもらったり大きい子どもに面倒を見てもらったり

にぎやかに暮らしていました。

この「群れで子育てする文化」は、今の私にも受け継がれていて

私も東京という大都会にいながら、

気の合う子育てサークルの仲間や幼稚園などで知り合ったご家族と

子どもを預けたり預かったりできる関係を作っています。

話が少しそれますが、

子育てには孤立は禁物です。

特に子どもが小さいうちは、

お母さんが得られる支援の層を何重にも得ようとするのが大切です。

お母さんが人と信頼関係を築いて安心していることは大切なことなのです。

さて、

私が4才の女の子だったときから両親はよく口喧嘩をしていた印象が強く残っています。

父の地元で外科医院の開業準備をしていたのですが、

父は母の意見は聞かずに、父の両親と開業医に嫁いだ姉の意見を採用していたそうです。

母はきっと無力感を感じていたと思います。

よく覚えているのは、

社宅で両親がお皿がわれるようなケンカをしている最中のこと。

私は隣の部屋で悲しくなって泣いていたのですが、

それを見て「おねえちゃんどうしたの?」という弟にむかって

「おかあさんたちには言っちゃだめよ。」と言っていたこと。

その後もそうですが、

特に母には「大丈夫な私」であることを演じていました。

「そうでないと母を困らせてしまう」ので。

と思っていたと思います。

子どもって、そういうけなげなもんですよね。

親を助けたい一心でなんでもしちゃうんです。

病気にもなっちゃう子もいると思います。

「人前で泣いてはいけない。」

その思い込みを手放せたのは、30才くらいになってから、

ハワイ島で参加したドルフィンヒーリングの合宿で!

随分と時間もお金もかかってるなぁ。(笑)

私が実際に母になってやっている子育ては完璧とは程遠いものですが、

※お母さんはいっつも起こっている。といわれています。(苦笑)

「悲しいときは泣いてもいいんだよ。」

「そして、お母さんだって悲しいときもあるし、困ることもある。

でもそれはあなたのせいではないよ。」

という

私自身が人生を通じて本当に知り得たことだけは大切に伝えようとしてきました。

子どもにあの体験をさせてあげたいとか、これを身につけさせたいと思うと

本当にきりがないし焦り感さえ生まれるものですね。

私は親の私が先に生まれてこの人生を通じて何を得たか、

それを伝える子育てさえできれば心は大丈夫だと思って今はやっています。

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