【小林桜ものがたりvol5】広島から呉へ

私は4月1日生まれなので、幼稚園入学のときには学年で一番年下でした。

2年保育で4~5才の間、

広島の社宅の近くの私立の学園付属の幼稚園にしばらく歩いて通っていました。

幼稚園の記憶はあまり印象に残っていませんが、

年長のときの冬休みに、父が地元の呉で外科医院を開業するに伴い

広島から呉に引っ越しました。

だれから言われたわけでもなかったようにも思うのですが、

小さい子どもながら「医業」を家業とする家の長子であることに

妙な誇りのような感覚を持っていたことを思い出します。

父方の家は、かつて明治の開国をきっかけに呉の軍港が栄えた時代に

曾祖父が病院を開設し、地元の有力者となりました。

たくさんの人を雇って、土地や財産も多く持っていたそうです。

祖父は医者になりたくない人だったので、その病院事業は縮小したようです。

それに加えて、「敗戦」をきっかけに駐留軍が入ってきて、財産も接収されたり、

という家系の中の敗北感みたいなものが受け継がれていたと感じます。

父は終戦時5才でした。

当時の混乱や駐留軍のパレードなど派手な賑やかさ、

そこにぶら下がる風俗などの世相の激変の影響が

小さい少年でお坊ちゃまだった父の世界感に大きい印象を与えていると感じます。

だから、父が地元に外科医院を開業するのは

家業が再興することを望むという家の期待を背負ったものだったはずです。

結局は経営があまりうまくいかず20年足らずで閉院して

両親は京都の移住することになるのですが、

それはまた後のものがたりです。

「呉線」の画像検索結果

さて、話は私の子ども時代にもどります。

呉に引っ越してからも私立の学園に通わせたい母の意向から

電車とバスを乗り継いで1時間以上かけて広島の幼稚園に通いました。

はじめての日は医院開業の前日だったから、という理由で

私は5才ながらひとりで電車に乗り広島駅につきました。

初日だけ配慮があり、ホームから改札口までいくと

社宅時代にお世話になった近所のおばさんが迎えに来てくれているのですが、

地下まで階段を降りたところで、どこに出れば改札かがわからず

5才の私はパニックになり1人で大泣きをしました。

そのことは私のトラウマになっていたと気づくのは大人になってからです。

最近はあまりありませんが、

たまにそのトラウマに入り込むような感覚になり

電車を乗り継ぐときにどこに行っているのかわからなくなり、

パニックになることが何度かありました。

そういう時は、文字情報がまったく理解できない状態になり

だれからも助けが得られない。。

という感覚に陥ります。

そして今でも極度の自己意識の広がりを経験するとき、

文字情報が理解できなくなることはよくあります。

これが関係あるのかどうかわかりませんが、

文字を読んで理解することが思うように取り組めない時期が結構長く合ったこともあります。(※この事に対しては後にホメオパシー療法が劇的に役立ちました。)

後に母になぜ初日から1人で通わせたのか?とたずねると、

「本人が大丈夫といったから。」と言っていますが。。(苦笑)

その後も小学校5年生まで呉線で広島まで通うのですが、

「通勤」していたような感覚です。

電車も30分に1本しかない瀬戸内の単線です。

今はお墓だけが呉にあり、あまりお参りもできていないのですが

呉線の「通勤」時代を思うととても懐かしさと、

しんどいけど両親や家を助けたいと思うけなげな女の子の気持ちが感じられて

愛おしく胸が締め付けられます。

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