2018年4月20日から5月1日の10泊11日。
という長旅だった沖縄たび。
ふりかえって思うのは、今回行けて本当によかった。
ということです。
自分の中心とずれた生き方を長年してきたことが、
もう限界にきているわかった2017年12月。
あの時は本当にショックだったです。
そこからドミノだおしのように、住む場所も家族の形も、そして仕事、日頃付き合う人も、着る服も、
自分の中からの要求に従いどんどん変えていくことになりました。。
もう勘弁して。というくらい、激しい要求が来ました。
今回のたびへいく決断もそうでした。
本当の意味で自分を救い出したい。
と願っていました
だから、時間もお金も人目も気にせず
自分のためだけに
出かけてきました。
そして、地縁がある沖縄。
ひとり旅ながら多くの再会と出会いのある旅になりました。
長年感じている「胸の苦しさ」を通じて私のたましいが訴えることはなんだろうか?
自分自身の中心を感じとろうと意識しました。
ものすごーく激しく漂ってきました。
海にも漂って、エネルギー的にも、意識もどわーーっと。。
こちらとあちらの世界の間に。
ただ何も決めず、心のまま漂いたい私を許して、ある意味集中した11日間を過ごしてきました。
そして、
漂うのは、もう、いい。
そう思った最後の方は、エネルギー的に収拾がつかない。身動きできる骨組みを感じられないような具合。
東京に帰ってからも1週間ほど大変でした。
笑
意識がまた日常に戻って来た時、
私の中に
自分の人生にとって大切なことが浮かび上がり、
2つの決意が生まれました。それは、
①愛して生きること
②医師として自分を最大限生かして生きること
え、今更?遅くない?
って呆れるとこかもしれませんが、
私的には、
そうそうこれ、待ってましたよ!という感じなんです。笑
①愛して生きること
旅先で胸がとても苦しかったある日。
夜、宿で眠りにつこうとしていたけど、眠れませんでした。
その時、突然わかったのです。
この痛みは「恐れ」の感情だ。
何への恐れ?
と問って、過去をふりかえっていると、答えが浮かびました。
「愛すること」への恐れ。
「人を愛すること」に疑いを持ってしまっている私が胸を苦しくさせていることに気がつきました。
初めの婚約者とは破談になり、その後2度の離婚を経験したからでしょうか。
それもまた自分の中を探ってみると、
幼少期から父親にもっと見てもらいたかった。
という男性に対する根源的な絶望感があること。
そのドラマを繰り返していること。
に気づきました。
愛することは、霊的な望みです。
いつでも一番大切にしたいこと。
もちろん生身の女性として限界があるし、
大人同士なら愛し愛されるという循環がなければ続かない。
でも、傷ついても癒えることも知っている。
愛することを学ぶこと。
それが、私の深いニーズだということを
いつでも忘れないで、
「それでも愛したい」といってやまない私を
何より私自身が許して信頼しようと決めました。
ハートから愛が溢れて出て行く時、胸は楽になるんです。
他の女性や場にある「愛することへの恐れ」に共鳴する意識を
無自覚に拾い上げて増幅させて苦しくなっている。
と考えると、リーズナブルだ。とも思えます。
たびの中で何人もの方(特に男性陣)が
私に彼らの愛について語ってくれたことも印象深いこと。
②医師として最大限生きることについて
昨年12月、ある方に悩みを相談した時のこと。
「医者を辞めた方がいいのでは。あなたは線が細すぎるから向いていない。」
というアドバイスをもらいました。
それを聞いて心底ホッとした私がいました。
その心の動きが私を大きく揺さぶりました。
医師であり続けないといけない。
これは私にとっての心の重荷だったからです。
ソウルバースセラピストとして活動を始めようとしていたし、
よし、医師でない道で生きられるくらいの道を行こう!
と思ってあれから半年過ごして来ました。
でも、なんか違うな。とも思ってました。
そして、
沖縄にきて昔の仕事仲間や医学部時代からの友人に会って話すうちに、
私が本当に望んでいて諦めきれていないことは、
医療の枠でないとできないことだ。
と認めざるを得ませんでした。
お産の場を提供できること。
産む人と生まれる人のいのち全体性が尊重される場で。
私の世界観とこの世界がつながるところで。
「お産の家を作りたい。」
これがかつて産婦人科医としての私の夢でした。
いや、私になんかできないよ。
諦めたつもりでした。
でも諦められていない自分に何度も出会うのです。
その夢を叶えることができるなら幸せだ。
と思っている自分を見つけて、
これまでのようにそのまま何もせずで生きることもできます。
でも今回、
一旦そうすると決めてはどうだろうか。
と自分の中から思えたのです。
はるか遠い道のりのうちたった一歩を進むことは、今ある力でできること。
その一歩は、
産婦人科医であり続けること。
そして、
小林桜個人の感性や思い、知識・経験を、この世界に表現して
受け取ってくれる方へ届けてゆくことも。
医師であり続けること、
産婦人科医であり続けること、
これが私にぴったりとはいえないけど、
歓びをもってお産に携わることは、実は誰にでもできるわけじゃない。
そして私にはそれが許されているのです。天からの授かりものかもしれません。
実は最近、一般外来の診療の中で、
一般的な治療法が私の好きな治療法でないことが
以前ほどストレスに感じなくなりました。
治療の方法の選択がどうこうというより、
その人がより幸せに生きる選択に働きかける方法を
診療の場を通じて私が私の人生ために選択する。
これが私にとって大切なこと。
私、人を助けたいんじゃないんです。
診療に用いているツールがなんだっていいんです。
私にとって、私が私としてその場にいて、
その人の意識がより生命力を発揮できる方向性に向いてくれればいいんです。
全体を診て、話と言葉にならない声をよく聞いて
私が一言言葉をかけるだけでも
患者さんやらが笑顔になることもあるし、
病気や苦痛と向き合ったり付き合ったりできる力添えになる。
お産も、楽になる。
大変なことがあっても、乗り越えられる。
パートナーや子ども、そして何より自分を愛することができる。
そんな変化を与える可能性を持った、高い生命力を持った生命体に私がなりたい。
だけなんです。笑
でも、医師としてあり続けたいならそれだけじゃダメで、
やっぱり医師として専門性が当たり前に必要。
今の私はもちろん名医ではないし、良医でもない。
だから、
来月は今月よりもう少しだけ良い医者を目指そう。
自分を少しずつ鍛えて行こう。
苦手領域をもう少し勉強したりもしよう。
相談できる相手や仲間を求めよう。
繊細な感受性はそのままに、
構造的な「線」を、少しずつ太くして
しなやかなみずみずしい感じの産婦人科医になろう。
そうやってこのフィールドでプレイし続けよう。
同時に自分が世界と何を分かち合えるのか探りながら、
作りたい世界観を築き、それに共感してくれる仲間を求めよう。
その延長線上に、
もしかしたら夢が叶うかもしれないし、
そうじゃないかもしれないけど、
今できることの積み重ねをしよう。
と思えるようになって、自然と肚に力が入って来た。
方向性が決まっていることが大切なんだね。
肚を決めて行動すること。なんだ!
と、
よーやく今まで色々な方に指導受けてわからなかったことが
わかって来た。
何か憑き物が取れた感じ。笑
たましいのかけらを拾い集める沖縄たび。
なかなかよろしゅうございました。
撮影:丸山嘉嗣 (人柄写心家tsuguさん)tsugu.smile
このカメラマンの在り方が私を揺さぶり、私のいのちの場に影響を与え続けています。
こーゆー人がいるんだ!って感動する、私にとってはなんだかすごい人です。笑
今回は来沖されるタイミングでphoto sessionしてもらえて嬉しかった!
2018年5月〜7月は100人撮影を募集されています。may-photo-hundred