『【小林桜ものがたりvol1】私が生まれるまでのこと』に続き、
今日は私が生まれる時のことをお話しさせてくださいね。
私は両親がお見合い結婚して1年すぎた年の4月1日に生まれました。
そう、
エイプリルフール生まれです(笑)
生まれる前に性別は分からない時代で、
母は男でも女でも名前は「桜」にしようと思っていたそうです。
明確なニュアンスは分からないのですが、
おなかの赤ちゃんが
「私の名前は桜」
といったのを聞いたとか、。笑
その真偽はさて置き、、。
そんなわけでまさに桜の咲く時期に生まれてきました。
お産は母の初産で時間がかかったそうです。
母子手帳は無くしてしまったので記録はないし、母の記憶もあいまいですが、
本当に難産だったわけではないです。
大人になってからの経験ですが、
偉大な故人 吉福伸逸氏の合宿の中で、
Rebirthing という生まれる時を再体験するワークをしたことがあります。
呼吸法から変性意識にはいるそのワークの中で、私がこれから生まれようとするいのちの意識として感じた事は、
「外野がうるさい!」ということへの不満でした。笑
さあ、早く生まれろ!だとか、なんとか、。
「外野、黙れ!わかんないやつがガタガタいうな。
私は私のいいようにやっている!
あなたたちにはわかんないかと思うが、
私の中では私に必要なの大事な時間をとっていて、
私は私の良い時にちゃんと生まれるのだから!」
「あ、でも、まあ、そんなにいうなら
ちょっと動きましょうか。」
みたいな。。(笑)
そんな感じで私は生まれてきたのですわ。
産科医になって、
医学的適応ではない、
社会的適応の誘発分娩や帝王切開が嫌いなのは、
胎児のときからの質なんだよなー!
と思うと、自分の生きづらさに諦めがつきます。笑
そんな風で、玉のような女の子がふてぶてしく生まれたというわけです。
今日もお読みいただきありがとうございました!